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鯛屋旅館の歴史

鯛屋旅館は三百年以上もの歴史とともに、地域の皆様や遠来からの商談出張の皆様方より
「気軽なお宿」として愛され、親しまれております。
清水次郎長・山岡鉄舟の常宿としても知られ、
旅館にはその歴史を感じさせるものがいくつか残されています。

清水次郎長
清水次郎長

幕末から明治維新にかけて、全国に名を轟かせた世紀の大親分と言われる、清水の次郎長。
時代劇や映画の題材にもなっており、詳しいことはわからなくてもその名を聞いたことがない方はいないでしょう。
晩年は社会事業家として地域に尽くし、清水港の改修工事や富士山麓の開墾、
また静岡茶を運ぶための蒸気船会社の設立にも携わりました。

鯛屋旅館は清水次郎長の常宿として知られております。
富士裾野開墾事業に携わっていた時もよく宿泊されておりました。

山岡鉄舟の自筆礼
山岡鉄舟の自筆礼

明治の時代、山岡鉄舟がこの地を訪れた折に鯛屋旅館を気に入って、
感謝の気持ちを表し当時の主人の名を書きました。

山岡鉄舟は、幕末から明治にかけて活躍した剣の巨峰で、かつ禅や書にも長けた人物でした。
江戸100万人の命を救った「江戸城無血開城」の立役者でもあります。
勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称され、身長は188センチ、体重は105キロと大柄な体格でありました。
また清水次郎長とも繋がりが深く、鉄舟が亡くなる明治21年まで親交が続きました。
次郎長も自分より17歳も年下の鉄舟に心酔し、「自分の親分は山岡鉄舟」と公言するほどでした。

鯛屋旅館は山岡鉄舟の常宿としても知られております。
東京と静岡を行き来する際によく宿泊されておりました。

お札
宿札

創業天和2年(1682年)以来、
宿場町(吉原宿)に大名が泊まる際、
家来が宿泊の予約に書いたお札です。

お札
身延山参拝指定旅館札

江戸時代に身延山参拝指定旅館として、
認められたことを示すお札です。

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